芳賀 巧
最近のJ-popはなぜやたらと高音なのか
緊急事態宣言も明け、飲食店にもやや活気が戻りつつあるように感じている。最近飲みニケーションに関する記事や投稿を多く見るような気がするが、当社は比較的そもそもお酒を飲みに行くことが好きなメンバーが多いので、勝手に仲間を誘って行っているケースが目立つように思う。(多分、仕事の話はほとんどしていない)
案の定僕もお酒を飲みに行くこと、もとい、お酒に溺れにいくことが大好きなのであるが、特にカラオケやらスナックやらで、歌って飲んで、楽しくワイワイすることがやっぱり好きだったりする。
そしてそんなときに、僕は率先して80年代の歌を歌うのだが、最近の曲にチャレンジできない理由がある。それは、男性の歌でもやたらとキーが高音だからだ。
音楽的な流行り廃り、編曲やら進行やら、そのあたりには正直あまり詳しくないのだが、詳しくないからこそ、やたらとキーが高くなっていることに対して、モヤモヤとした思いを抱えている。
僕の勝手な独断と偏見で考えると、ある時期からおそらく「みんなで歌って楽しむことができる歌」から「独自性のある、唯一無二な歌」であることが世の中に流行するようになっていったのではないかと感じている。
今も昔も、当然歌手は特別な職業なのだと思うが、「高音で歌うことができる」という、(もちろんトレーニングもあるだろうが)先天的に限られた人たちだけの世界である、という色がかなり強くなっていっているような気がする。(しかも、高音で歌える男性はやっぱりなんだかかっこよく見える)
まぁ・・・、歌手の方々の努力の結晶であるし、聞いていて「いい歌だなぁ」と感じる歌はたくさんあるので、新たな進化として受け入れたいなと思う一方で、やっぱり楽しく歌いたいぜ!という気持ちも正直捨てがたいなぁと思ってしまう。
もっと歳を重ねて、「うわー、この曲懐かしい!」とカラオケで歌を歌う頃に、僕は高音を出せているのだろうか。いや、今ですら厳しいのだから無理だろう。
高音の歌でも、もちろんその歌を聞けば思い出が蘇ってくるであろうが、メロディーに乗せて、自分の声でその歌を歌いながらでないと、蘇ってこない思い出もあるような気がする。
かっこよさと引き換えに、なんだか大切な物を失っているような気がする今日このごろ。