「〇〇デビュー」という表現

ちょうど僕が学生時代に流行った?言葉に「高校デビュー」という言葉がある。確かそのようなタイトルの漫画や映画が出たことによって、広く使われるようになった言葉だったと記憶しているが、(漫画のタイトルとして、ではなく)僕はその言葉があまり好きではなかった。

僕の学生時代でも、「あいつは高校デビューだからな」だったりとか、「中学の頃はあんなキャラじゃなかった」というような言葉をよく耳にしたが、メッセージとしては「新しい環境になったことを『利用』して、変わりやがって」という、やや皮肉を込めたものが多かったように記憶している。

おそらく、デビューした人は今までの反省を踏まえて、「こう生きていきたい」と思ったからこそ、自分を変える努力をしただけなのに、なぜそれを受け入れられないのか、とてもさみしい気持ちになった。

これは勝手な僕の感覚だが、「人によって態度を変えるな」と言われるものの、そんなの無理だろ!と思っている。年上の方々には当然敬語を使うし、仲の良い人に対しては建前のない話をしたりする。人は人から影響を受けて変化する生き物だと思うので、環境が変わった事によって、「出してみたい自分の姿」を出そうとする勇気は本来歓迎されるはずなのに、受け入れる側からすると、変わっていくことに対する怖さもあるのだろうな、と思う。

主に採用関連のお仕事をさせていただく際に、「社会的望ましさ」という言葉が出てくることがある。これは、社会がおおよそ望んでいるであろう「明るい」ことや「活発」な行動に(本来の自分を押し殺して)合わせてしまうことを指して主に使われる言葉だが、今回の「デビュー」に関しても、このような社会的に望ましい人物へと変化していった人のことを指すケースがほとんどであると思う。

いやちょっとまってくれ、と思う。それを言っている自分はどうなんだと。小さい頃から明るかったのか?活発だったのか?そんなはずはなく、親や兄弟など身近にいる人の影響や、これまでに出会ってきた人の影響を多大に受けて、今の自分が作られているはず。

どこかでみんな、何かしらの「デビュー」をしているはずなのに、自我や理性が芽生えたタイミングで変わろうとする人たちをなぜ受け入れられないのか。人間は共同生活を行う以上、ある程度社会に合わせようとする生き物だとも思うので、「デビュー『しやがって』」という発想を持つ人減っていくと良いなと心から思う。

最後に、「◯◯デビュー」という言葉を言われている(もう死語なのかもしれないが…)人がもしいるのであれば、学校におけるヒエラルキーなんて、足が速かったり、容姿が良かったり、基本的にその程度のもので決まっているだけで、その後も持続的に関わる事が限りなく低い関係性において、上位のヒエラルキーに所属しているからって、別に何の特にもならない。もちろん、人と仲良くすることは大切だとおもうが、学生時代は虚勢を張りたがる時期なので、あまり気にせず、自分が熱中できるものを探してほしいなと思う。(僕もまだ探しているが…)

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芳賀 巧

2016年人材研究所入社。野球ばかりをする人生を送っておりましたが、最終的に大学入学前に寮を脱走し、そこから大いに学生時代を謳歌していました。元々人や組織に対する興味関心が特別強かったわけではなく、様々なご縁から入社をしました。二女の父で、週末は娘と公園でよく遊んで(遊ばれて)います。趣味はこれと言えるものはあまりありませんが、強いて言うなら麻雀が好きです(ただし、めちゃくちゃ弱いです)。お酒を飲むことも好きですが、プリン体が気になる年頃なので、最近はプリン体ゼロのノンアルコールビールを飲むことが多いです。

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