安藤健
握手文化を広げたい
私は人と握手するのが大好きです。
初めて会った人、久しぶりに会った人、定期的に会っている人との別れ際で握手すると、その人がどんな気持ちで私との時間を過ごせたかがわかる気がするからです。
ぎゅっと強く握り返してくれたら、きっと良い時間を過ごせてまた会いたいと思ってくれているんだろうと思って、心がほっこりします。
握手だけではないのですが、こういった言葉以外のコミュニケーションは、案外言葉以上に正直な気持ちが伝わったりするもので、もっと広げていきたいなと思います。
ただ、非言語的コミュニケーションといっても、「あうんの呼吸で私の気持ちを感じ取ってね♡」「幸せなら態度で示そうよ(手をたたこうの歌)」ではなく、明確に表現することが大切だと思っていて、それが握手です。
握手は相手との情緒的近さを測れる明確な愛情表現だと思います。
日本では、握手文化というよりはお辞儀文化で、相手への敬意や感謝の強さをお辞儀の深さで示したりします。ただ、お辞儀は私たち日本人にとっては、もはや空気のようなもので、
どこでも、誰に対してもぺこぺこ行います。今や、敬意や感謝の意図を明確にもってお辞儀をするシーンは少ないかもしれません。
一方で、握手は日本においてはまだ非日常の部類に入る行為だと思います。私たちは握手を求められると「おっ」となり、人によっては少し緊張したり、身構えたりすることもあるでしょう。
それでも、握手はもっと広がってほしいと思います。
握手にはコミュニケーションの双方向性があり、手を握る⇔握り返すというのがその場で行われます。その反応の即時性が、私は好きで(すぐ相手が好意的かどうかわかるからです)
それから、距離を保った上でのお辞儀ではなく、ゼロ距離で直に相手に触れる方が、よりストレートに相手に気持ちが伝わるような気もします。
今日はそんな握手について、いいなと思ったエピソードを1つ紹介します。
9月末に、東北のとある在宅診療所で訪問医の先生にインタビューをしたときのことです。
”病院には病気を治すという普遍的なニーズがあるが、在宅でみる高齢者の方々はもう感知できない病気を抱えていたり、寿命もこれ以上伸ばせなかったりする。
その中で、患者さんがそれぞれどんなニーズを持っているのか。どう人生の最後を迎えたいのか、について在宅訪問医は敏感にならなければならない。
皆、自分がどうしてほしいか言ってくれれば良いのだけど、中々言わない人もいるし、言えない人もいる。
患者さんが「良かった」と思えているかどうか、元気かどうかの一番の確認は、実は言葉よりも、別れ際に差し出した握手の握り返しの力だったりするんだよね。”
とその先生は言っていました。
実際、その先生の診療に同行してみると、寝たきりの患者さんの手を毎回別れ際にぎゅっと握って、「また来るからね」と声をかけていました。
気管切開して言葉が出せない患者さんもたくさんいる中で、気持ちをはかるよい手段だなと感じました。
高齢者の方こそ、若い時はこの日本で握手文化などぜんぜんなかった時代を生きていたのかもしれませんが、そもそも手を差し出されて嫌な人はあまりいないんじゃないかと思います。
コロナ禍の2年半で、リモートが生活と仕事のすべてに入りこんできました。
つながっているけどつながっていない感覚。
距離を感じてさみしくなっている人は案外、多いのではと思っています。
握手を通じて、薄くなったつながりを取り戻していきたいです。