エンタメ感とガチンコ感

人間、何かしら趣味や好きなことがあり、それらに没頭することで生きる意味を見出したり、ときには嫌なことを忘れたりすることがあるのではないかと思う。

なんだか重々しい書き出しであるが、何を隠そう自分自身にあまりそのような熱中できる好きなことがなく、決まった趣味を持っている人がとてもうらやましいなと感じる。

強いて言うなら、お酒を飲むことが好きだと思っていたが、結局それはただ単に人と会うことが好きで、誰かの人生に自分自身が一瞬でも関われていることに対して嬉しさを感じているのだなと、コロナ禍で「飲み会」がなくなったことによって痛感した。(つまり、俗に言う「メンヘラ」気質の強い人間なんだろうと思う)

 

そんな中で、多少なりとも自分から前向きにやろうと思えることが麻雀だ。ちなみにめちゃめちゃ弱いのだが、自分の失敗を反省する時間もなく、どんどんと新たに考えなければならない状況に追い込まれる麻雀は、常に場と自分との戦いを強いられているようなような感じがして、とても楽しいなと思う。(つまり、俗に言う「ドM」気質の強い人間なんだろうなと思う)

 

今日はそんな麻雀に少し関連する内容となっている。おそらくご存じの方も多いのではないかと思うが、麻雀の世界にも「プロ」と呼ばれる方が存在しており、これまでは複数ある団体の中でのリーグ戦やタイトル戦が中心であったのだが、近年「Mリーグ」という複数団体が一挙に参加するプロリーグが発足され、僕もその試合にかなり熱中してきた。(特に、近藤誠一選手の熱の入ったツモにはかなり心を動かされてきた)

 

そのような「勝負事」を見世物として表現するような娯楽は世の中にたくさんあると思うが、そこで時々話題になることが今回のタイトルでもある「エンタメ感」と「ガチンコ感」についての議論(?)だ。

 

ある意味不毛な議論だとも思っているのだが、あえてもう少し自分なりに細分化してみると、おそらく勝負事を見世物として表現する娯楽には、

作品性=ここでの定義は「面白度合い」のようなもの

興行性=ここでの定義は「演出度合い」のようなもの

真実性=ここでの定義は「真剣度合い」のようなもの

のような3要素が関わってくるのではないかと思う。

 

これらは、おそらくその見世物のフェーズ(新規参入なのか、成熟しているのかなど)による強弱の違いもあると思う。例えば、新規参入であればあるほど、やはり注目度を高めるために「興行性」というような「派手さ加減」を重視し、必然的に「真実性」がやや弱く見えてしまうことなどがあるのではないかと思う。

 

なんとなく僕がたどり着いた結論は、上記のような「3要素のどこが伝わってくるから好きだ」のような後付の理由ではなく、自分自身が「楽しい」と感じるものに対して素直に熱中することができる力を持てているかどうか、なのではないかと思う。

「筋書きのないドラマ」のような真剣さが好きな人もいれば、「毎度決まって主役が勝つ」王道感が好きな人もいて、それでいいんだと思う。

結局また何が言いたいのかわからなくなってきた。ただ、今回分かったとても重要なことは、こんなことをゴチャゴチャと考えているような僕のようなタイプは、きっと心から楽しめるものに出会えることはおそらくないのだろうなと思う今日このごろ。

twitter facebook twitter facebook

芳賀 巧

2016年人材研究所入社。野球ばかりをする人生を送っておりましたが、最終的に大学入学前に寮を脱走し、そこから大いに学生時代を謳歌していました。元々人や組織に対する興味関心が特別強かったわけではなく、様々なご縁から入社をしました。二女の父で、週末は娘と公園でよく遊んで(遊ばれて)います。趣味はこれと言えるものはあまりありませんが、強いて言うなら麻雀が好きです(ただし、めちゃくちゃ弱いです)。お酒を飲むことも好きですが、プリン体が気になる年頃なので、最近はプリン体ゼロのノンアルコールビールを飲むことが多いです。

人気記事

  • 「人事は孤独である」ことの正体

  • 「人」について若造が語ることの重み

  • 僕たちの会社と仕事について

人と組織の可能性を
信じる世界を目指す
人材研究所では組織人事の問題解決を
通じて企業様の未来を応援しています。