1.面接を“仕事”にしている人事面接官
「先生にとっては大勢いる生徒の一人かもしれないが、生徒にとって先生は一人しかいないんだ」
僕の好きな漫画の一節にあるセリフです。
確かに、学校の先生からすれば生徒は毎年変わるし、いちいち一人ひとりの生徒のことなど覚えていられないのかもしれません。ですが、生徒にとってはその先生との出会いが後の人生に大きな影響を及ぼすこともあるでしょう。誰もが昔は生徒だったわけですが、大人になっても印象に残った先生のことはよく覚えています。
これって僕ら人事、特に採用の仕事をしていても同じではないかと思います。
新卒採用担当者は毎年、新卒学生を面接します。中途採用でも募集中の求人がある限り、面接し続けるでしょう。しかし、学生や候補者にとっては、多くの場合、その企業でその面接官と会うのは一度きりです。
現場面接官は、現場のメイン業務がある中で、周辺業務として自部門の面接を行っていますが、人事面接官は、面接そのものがその職務のメイン業務です。日系企業であれば面接の担当する数も人事面接官の方が圧倒的に多く、文字通り、「面接をこなす」というただの繰り返し、反復業務になってしまっては最悪です…。
2. 多忙からくる「反復作業」を精神論で片づけてしまっていいのか
しかし、現実的には悲しきかな、人間は悪い意味での「慣れ」があり、業務に忙殺されて気づけば漫然と面接を行っている、なんてこともあるかもしれません。
僕も新卒と中途の面接をひたすら行っていますが、特に新卒では毎年3~5月くらいまで一日十何件もの面接を1週間ぶっ通しで行うなんてこともざらにあります。
面接も「一期一会の出会い」とは言われますが、そこは自然発生的な出会いではなく、あくまで作られた空間での出会いです。平均60分、短ければ30分で、目の前の人の人生の軌跡をたどり、そこに隠れた資質を発見するという、出会いとしてはかなり異常な場なのです。こんな短い時間で、その人のことがどこまでわかるのか、という素朴な疑問を持ちつつも、面接官という役割としてその人の人生を精一杯のぞかせていただきます。
もちろん、こうして本気で向き合えば向き合うほど疲れます。一日フルで面接が入っている日などは、終った時にはもうヘトヘトになります。
このように忙殺されて、ともすれば“反復作業”になってしまいかねない面接ですが、どうやってモチベーションを保てば良いでしょうか。
「そもそも面接は人の人生を決める仕事。気合いを入れて毎回望むべし!」という精神論抜きにどうすれば良いでしょう。
3.誰かの人生を追体験していると考えたら、目の前の人に興味が沸く
人は誰もが、自分以外の人生を生きることはできません。
同時に、なれなかった自分、選ばなかった選択肢の先にある人生をひそかに憧憬しています。
話が逸れますが、最近「メタバース」や「AR/VR」が注目されている背景も、こうした人間の根源的な欲求が影響していると思います。
ただ、僕は自分以外の人生を追体験できるもっと手っ取り早い方法の1つに、面接という場もあると考えます。
ふと考えてみると、確かに面接はたった30~60分程度で相手のことを理解しようとする異常な場ですが、その分、短時間でできるだけその人を理解するために、様々な周辺ツールが用意されています。
例えば、学生時代のハイライトなエピソードが書かれた『エントリーシート』、その人のごく詳細な個人情報から経歴までわかる『履歴書』 、これまで経験してきた仕事の詳細が細かく書かれた『職務経歴書』、性格を準客観的に数値化した『適性検査』の結果などです。こういったものは、人と人の自然な出会いの場では当たり前ですが、出てきません。
これほどまで網羅的にその人についての情報を見ながら面接を行うと、まさに彼/彼女の人生を追体験している気分になります。
これまでの人生の、この時に、こんな壁にぶつかって、こう悩んだ、と言われれば、その状況を想像して、「その時、自分だったらどう思うかなあ」とか「それは大変だ。その時どんな風に考えたんだろう」と、そのエピソードを自分の中に取り込んで話を聞いていきます。
そうすると、まるでその人の人生を追体験しているような感覚になり、もっとその人のことを知りたい。と考えるようになる。これが人に対する飽くなき好奇心の正体かもしれません。
なので、面接は疲れますが、とても有意義な時間です。もちろん面接というからには「ジャッジメント」というものがついて回りますが、そういった感覚で話を聞いていけば、自然と、どんな候補者に対してもリスペクト(尊敬・尊重)が生まれます。
その人が自分の人生に、どんな形であれば本気で向き合ってきたことがわかるからです。
今年も23卒新卒採用が始まりました。
面接ピークを迎える面接官の方々に、ぜひ一度読んでいただきたいと思います。
安藤健