芳賀 巧
数値(データ)と肌感覚(フィーリング)
以前のコラムでも書いたような気がするが、我々のような若造が生身の人を扱うコンサルティングをご提供するとなると、必然的に適性検査やサーベイの結果、すなわち数値(データ)に基づいたご提案をする形になる(かっこよく言うと、エビデンスベースのコンサルティングとでも言うのだろうか)。
一方で、人間にはやはり気分や相性なども存在しているわけで、やはり全てをデータで語り尽くすことはできず、データをどのように解釈するかは我々の腕の見せどころでもあるし、クライアント企業からむしろヒントを頂きながら解釈をしていくことになるケースがほとんどだ。
じゃあ一体、どこまでデータを信じ、どこからフィーリングで語ってよいのか?ということをよく自問自答しているのだが、当然答えなど出ないわけで、いつも悶々とこのことについて考えている。
データなのかフィーリングなのか、という問いに対して、僕がこれまで経験してきた世界で言うと、野球の「配球」が挙げられるかと思う。
配球は、基本的には主に捕手が打者の状況等をふまえ、投手に対して球種や投げるコースなどを指示するものであるが、プロ野球の世界ではかなりデータ化されつつあり、打者から見た「苦手なコース」などが数値化され、配球を考える上の重要な指標となっている。
試合前にスコアラーなどのデータを扱う人と捕手の間で、配球についての作戦会議を行うようだが、第一回WBCで日本を金メダルに導き、現在はYouTuber?としても活躍中の里崎智也さんは「最後はデータではなく、自分の感覚を信じる」とはっきりとYouTubeで明言されていた。
実際に結果を残している方がそのように発言されているのは、非常に心強いなと感じる一方で、逆に「データを超えるデータ」、すなわち「経験」であるのだとも感じ、やはりそう簡単に肌感覚で何かを決めるのには、まだまだ自分は修行が足りないなと感じた。
ただし、どちらも結局意思決定のサポートツールに過ぎないとも思う。その意思決定がたとえエラーやバグとなったとしても、それがあるから人間だと思いたいし、偶然や失敗が人生を豊かにしてくれると信じたい。フィーリングのない恋愛はきっとドキドキしないだろうし、人を好きになれることすらない世界なような気がする。
物事を決める前提としてデータを活用するのであって、データが責任を取ってくれるわけではない、ということは肝に銘じて業務に邁進したい。