1.Z世代の半数以上が転職を意識してファーストキャリアを選んでいる

最近、仕事の一つで、とあるHR系企業の調査データに目を通して驚いたことがありました。それによると、現在就職活動をしている2023年卒の就活生のうち、55%が新卒入社時点で転職を意識しているとのことでした。

採用する企業側からすると、もしかするとあまり望ましい結果ではないかもしれません。一人当たりの新卒採用単価80万円ほど(理系であれば100万円も)をかけて、せっかく採った新卒の半分が入社時点で次の会社を見越しているのですから…。

ただ、一方では近年の会社側の認識としても、会社が社員の雇用を終身保証しつづけるのはもはや難しいと強く感じてきているのもまた事実です。

特にコロナ禍が始まって以来は拍車がかかり、2020年に希望退職を募集した上場企業数は94社で計約1万9千人の希望退職募集、2021年には84社で約1万6千人の募集が行われています。事業が大幅に赤字化するなどして、今後の人件費を払い続ける見通しが立たなくなり、退職金の上乗せ、ネクストキャリアの支援などのメリットをつけて退職を促す、という「早期・希望退職優遇制度」のニーズが今、破竹の勢いで高まっていることを、人事業界にいると実感します。

もちろんこうした流れはコロナ禍に始まったわけではありません。過去のバブル崩壊後、リーマンショック後にも同様の流れがありました。

そもそもこういった大事(おおごと)がない平時にも、緩やかな日本経済の停滞と共に、『終身雇用の崩壊』と呼ばれる現象が日本企業の各所で起きているわけですが、今回の就活生向けの調査データを見ると、どうやら会社だけでなく、個人の働く上での意識も大きく変わってきているように感じます。

これから社会に出る学生、またすでに出ている若手社会人たちは、「働くこと」や「キャリア」について、どんな理由からどんな認識をしているのか、少し考えてみたいと思います。

2. 終身雇用の時代、個人のキャリアは会社が握っていた

元々、日本の企業で働く社員は、「就職」というよりも「就社」と言われ、その会社に身を捧げて、その中で何でもやる、といういわゆる丁稚奉公、徒弟制度的な文化が根強くありました。戦後すぐ、家族を失って身寄りのない人もたくさんいた時代、血縁関係こそないが、社員を本当の家族のように扱って何でも身の回りの世話をした経営者と、それにこたえて会社に言われるがまま何でも行った社員。本来家族関係は「終身」の関係です。社員の奉公に対して終身で雇用を保証する。ここに「終身雇用」と呼ばれるものの萌芽があったように思います。

そして戦後何もない焼け跡の状態からの経済再スタートで、連合国側の経済支援や朝鮮特需など復興のための足掛かり的な外的要因はたくさんありましたが、同時にモノのニーズもいくらでもある状況でした。作れば作っただけ売れる時代、いわゆる日本の高度経済成長と共に終身雇用は定着していき、会社が社員の一生(正確には定年までですが老後の資金源となる膨大な退職金まで用意するという点からはある意味、一生ともいえるでしょう)を面倒見るというのは現実的にも可能だったわけです。そして、その終身雇用を実現するためには、採用は学校を卒業したばかりの真っ白な新卒にほぼ一本化して行ったり(新卒一括採用)、給料はその会社に長くいればいるほど上がったりし(年功序列型賃金)、仕事にコミットしているわけではなく会社にコミットしているがゆえの企業別労働組合という三種の神器が必要だったわけです。

ここまで終身雇用の成り立ちについて少し細かく僕なりの解釈をしてみたのですが、こう見ると、個人のキャリアの選択肢は、就社先の身元保証人である会社が握っていたことがわかります。「お前のキャリアは定年まで(なんなら定年後も)、会社が責任を持つから、脇目を振らずに言われた通りのことをして尽忠しなさい!」という労使の契約関係だったということです。

そして会社主導でジョブローテーションが行われ、営業3年→人事3年→経理3年などのように仕事にスペシャリスト化するのではなく、様々な職種を経験して多面的に会社に関わることで自社にスペシャリスト化していくようにキャリア設計されていきました。

このように当時はすべての仕組みが合理的に機能していたわけですが、時代は変わり、モノも飽和して作ったからといってすんなり売れる時代ではないし、国の境目が薄くなったことで国内だけでなく海外の企業もライバルになったりして、企業は急速な変化の波に揉まれながら生き残るための生存戦略を考え直さねばならない時代となってきました。

3. キャリアの多様性と自律性がメインテーマの世代

こんな企業側の状況の裏で、働く個人も、次第に会社が終身で雇用を保証してくれるわけではなさそうだと気付いていきます。特にバブル崩壊やリーマンショックといった大規模な不況のたびに、その事実を見せつけられ、ショックを受けている親世代を見ながら育ってきたのが、「Z世代」と呼ばれるこれから働く若い世代でした。また彼らは不況だけでなく、地下鉄サリン事件、9.11同時多発テロに代表されるテロや、阪神淡路大震災・東日本大震災などの震災といった社会不安の中で育ってきています。「明日何が起こるかわからないこんな不確実な世界で、絶対的・安定的な拠り所なんてもはやない」と考えながら生きています。であれば、「自分がどう生きていくか、何で生きていくかは自分で決めなければならない」とキャリアを自律的に考えるようになるのは自然でしょう。

また、共生社会、リベラル、ダイバーシティという価値観の中で育ってきた彼らにとって、何かを選択する時に「あれも正しいし、これも正しい」と考えるのが当然の感覚です。これをキャリア観に置き換えて考えると、これまでは会社の中で出世することや高い給与といった相対的・競争的なものがキャリアの成功の尺度でしたが、彼らのキャリアにとって重要なのは主観的な幸福感(ウェルビーイング)です。主観的な幸福は、他者と比較する物差し(出世や給与)では測れません。各々感じる幸せが違うからです。自分のキャリアの成功の定義を自分自身で決めて、それに向けて自分が主体となって能力を高めていく。まさに今の世の中は、キャリアの責任と選択の権利は他の誰でもない当人にあります。

4.キャリア自律を高めても、会社を必ず離れるとは限らない

会社としては、一旦入ったら保証し続けなければならない雇用と半ば自動的に上がっていく給与に、もはやコミットできないと感じ、社員が自律的に自分のキャリアを考えてくれることはありがたいことかもしれません。一方で、社員のキャリアを自律させると会社に留まらないため、人材が定着せず、会社にノウハウが溜まらない、事業が人不足で継続できない、という問題につながるのでは?という懸念もあります。

この問題に対し、一つの可能性としては将来、日本の会社が「ジョブ型」と言われる雇用形態に緩やかに移行するかもしれません。「ジョブ型」の雇用形態では、社員は会社にコミットするというよりもむしろ仕事にコミットする形になるので、「就社」ではなく、ある意味文字通り職業に就くという「就職」ということかもしれません。ただ一方で、日本企業が従来取ってきた「就社」という考え方は、自分の役割外であったとしても周囲で困っている人がいれば助けあったり、ジョブローテーションで色々な職種を経験すること(会社に経験させてもらえること)で自分の適性を見つけたりと良い面ももちろんあります。そもそも心理的に労使のドライな契約関係を急に受け入れられるかという問題もあります。

こういったジョブ型雇用への難しい問題もある中で、キャリア自律に対して一つ研究的に明らかになっていることは、社員がキャリア自律しても、会社を必ずしも離れるとは限らないということです。もちろんキャリア自律すると「他の会社・他の仕事にも挑戦してみよう」と思うため、転職は高まります(冒頭のHR系企業の調査データの通り)。が、こういったキャリア自律を会社が率先してサポートしてあげると、その会社へのエンゲージメントも高まることが分かっています。人は本来そんなドライな生き物ではありません。会社への恩義を感じて、それにきちんと報いようともするのです。

戦後すぐの貧しい時代、終身雇用を約束することに対して社員が感じた恩義は、今の時代、Z世代においてはキャリア自律を後押ししてくれることに対して感じる恩義に変わったのかもしれません。形は違えど、受けたその恩義に尽くそうとする人間の心理は一緒だと思います。

キャリア形成の主体者は会社から本人へ変わりました。これからの日本企業では、従来持っていた会社と個人のウェットな関係の良い部分(助け合い、相互扶助)は残しつつ、個人は会社に依存せず、会社は個人に依存しない、自律的な働き方と雇用の仕方を模索していく必要がありそうです。

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安藤健

元々、臨床心理学を学んでおり、児童心理治療施設(虐待などで心に傷を負った子ども達の心理支援をする施設)にて、長らくインターンをしていました。 ここは、まさに心理学を「病の治癒」に活かす現場でした。そこから一転、心理学を「人の能力開発」へ活かしたいと感じ、人事という世界に飛び込んでみました。 現在では、こういった心理学の観点なども踏まえつつ、人事・マネジメント系コラムの連載をしています。

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