温かい「こじつけ」で人生は(きっと)豊かになる

偉そうに世の中を語るつもりはまったくないのだが、世の中で本当に意味のあるものやことなんて、そうそうないと思っている。

曽和さんがよく言う「意味づけ力」も、そんな人間の世界だからこそ求められる力であって、意味は自らで見出すものである、ということなのだと僕は解釈している。

 

しょうもないことや、面倒くさいことであっても、何かしらの意味を見出だすことで、楽しくも嬉しくもなるということが、逆にどれだけ素晴らしいことだろうか(誰)。

僕がこれまでの人生で、「こじつけ」を最も求められたシーンは、子供に命名する際だったと思う。自分自身も、自分の親に「なんで僕は巧という名前になったの?」と聞いたこともあったように記憶しているし、やはり親としての説明責任を果たすことが親の務めだと考えていた。

長女の名前を決める際は、実は2つの理由から割とスムーズに名付けることができた。

まずは、妻が生まれた瞬間に「(命名した名前である)◯◯ちゃん」と、事前にいくつか候補があった名前から、現在の名前を呼んでくれたことで1つの大義名分ができたことだ。

もう1つは、妻の名前から漢字一文字、僕が大ファンである中森明菜から漢字一文字をいただく、という形でその名前を表現することができたことだ。(なんやねん、その理由と思われるかもしれないが…)

という形で、長女の命名にはそれなりのストーリーと大義名分があり、僕なりに説明責任を果たすことができると思ったのだが、問題?が発生したのは次女の命名の際だ。

 

僕としては、長女の時のように「いくつか妻に候補を渡しておいて、生まれた瞬間に呼んでもらう」作戦を水面下で実行していたのだが、あえなく失敗してしまった。

さて、どうしよう…。ということで長女の名前を改めて見ると、草冠が名前に入っていることと、左右対称の漢字が使われていることに気がついたのだった。

これが何を意味するかというと、

① 私の名字である芳賀の「芳」には草冠が使われているので、(彼女たちが結婚する頃にはルールが変わっているかもしれないが)名字が変わった際にも、一部が入り続けるということを表現できること

② 僕の家族の女性は筋の通った女性である、ということを左右対称の漢字を使うことによって表現できること

この2点で、親としての説明責任を果たせるのではないかと考え、次女の名前を決めた。

 

適当に名付けることは簡単だろうが、こんな感じであれこれと考えてつけた名前なので、やはり個人的にものすごく愛着を持っているし、気に入っている。

「名は体を表す」という言葉があるが、初めての親から子供へのプレゼントだと思うので、いつか娘たちが物心ついて「私の名前はどうやって決めたの?」と聞かれたときには、ストーリーの裏側から、どんな思いでプレゼントしたのか、ということをかっこよく語れるように今から練習しておこうと思う。

 

こんな感じで、自分の解釈や考え次第で世の中の見方が変わったり、少しでも楽しく感じられるようになると、人生がちょっとだけ豊かになるのではないだろうか。

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芳賀 巧

2016年人材研究所入社。野球ばかりをする人生を送っておりましたが、最終的に大学入学前に寮を脱走し、そこから大いに学生時代を謳歌していました。元々人や組織に対する興味関心が特別強かったわけではなく、様々なご縁から入社をしました。二女の父で、週末は娘と公園でよく遊んで(遊ばれて)います。趣味はこれと言えるものはあまりありませんが、強いて言うなら麻雀が好きです(ただし、めちゃくちゃ弱いです)。お酒を飲むことも好きですが、プリン体が気になる年頃なので、最近はプリン体ゼロのノンアルコールビールを飲むことが多いです。

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