1.ダイバーシティは中々進んでいない

最近、企業が推進している標語として「SDGs」と同じくらいよく使われている言葉に、「ダイバーシティ&インクルージョン」というものがあります。社会全体や組織において、色々な種類の多様性(ダイバーシティ)を受容(インクルージョン)して、誰もがのびのび生きられる共生社会を作っていこうという働きかけです。ちょっと長いので省略して「ダイバーシティ」とだけ呼ばれることもあります。

しかし、ダイバーシティに関する研究なども見ていくと、ダイバーシティが必ずしも組織のパフォーマンスを高めるわけではなく、組織の成長フェーズや職務特性などでも大きく影響が変わることがわかってきており、中々一筋縄ではいかないようです。そのため、企業としてはこの言葉を標ぼうしていながらも、実態として導入が期待より進んでいないという状況もあるかと思います。

そもそもダイバーシティには2種類あり、人種や年齢、性別、障害の有無など目に見える違いを指す表層的なダイバーシティと、考え方や価値観などの目に見えない違いを指す深層的なダイバーシティとに分かれます。

私は学生時代、心理臨床の世界におり、障害や病気を持つ人と接してきました。その中で、そういった日常生活に困難を持つ方々と健常者が共に暮らす環境(職場レベルから社会レベルまで)をどう作っていくか、という課題意識を少なからず持っていたのですが、実際、様々な場面で、本当の意味でダイバーシティが進んでいるかと言われるとまだそうは言い切れないと感じていました。

一体、何がこの問題を難しくさせているのかを少し考えてみたいと思います。

2.そもそも人間は「ソト」を作りたがる

まず、これは人間に等しく備わった特性ですが、人はそもそも「ウチ」と「ソト」という概念が大好きです。社会的カテゴリーといいますが、結局人は自分が何者であるのかわからないと不安で仕方がないので、私は「男で、日本人で、どこどこ出身で…」というようにカテゴリー化していきます。そして同じカテゴリーに属する他人に対して「俺たちは男だから…」「私達日本人は…」というように仲間意識を抱いていきます。太古の時代、協力し合って自分より体の大きな獲物を仕留めてきた社会的動物である人間の生存戦略としては合理的でした。そして反対に、敵である「ソト」の人間には冷たくなります。加えて、外集団同質性バイアスといって、「ソト」の人間は皆同じやつらだ、というステレオタイプも持ちます。

こう考えると、この悲しき?人間の性によって、ダイバーシティの推進など実現できるのだろうか、と不安になります。どうしたら私たちは分かり合えるのでしょうか。

色々な課題はありますが、まず私たちにできる一番簡単な努力は、「ウチ」の範囲を広げることかもしれません。互いに共通している部分の抽象度を高めていくということです。人類みな兄弟ではないですが、抽象度を上げていけば、必ずどこかで共通点が見つかります。人は共通点をきっかけに、恋愛関係に発展したり、親友になったりします。アイツとオレでどこが違うか、ではなく、どこが同じか。を探すのは、一番手っ取り早いインクルージョンの方法ではないでしょうか。

3.知らぬ存ぜぬはダイバーシティ“&インクルージョン”ではない

もう一つ、例えばある企業が声高々に「うちはダイバーシティを掲げています!」といっても、多様な人たちがただ同じ会社に所属しているというだけでは、インクルージョンとは言えないでしょう。

本来、差別には2つの種類あります。1つは支配・所有による差別と、もう1つは排除による差別です。民族差別も女性差別も、障害者差別もこのどちらか、もしくはどちらもが行われてきました。自分たちの意のままに支配することだけが差別の形ではないということです。同じ空間にいても、知らぬ存ぜぬは、差別していることと同じです。

現在、企業の採用活動において、候補者に面接などで聞いてはいけない質問というものが定められていますが、これは日本の部落差別問題から始まったものです(東京都労働局が定める『採用と人権』という冊子で示されていますが、人事に関わる人は絶対に目を通さなければならないものです)。日本の部落差別問題について調べてみると、ここで起きていた差別はまさに排除の差別の歴史でした。今社会が推進しているダイバーシティでも、同じことが言えるように思います。ダイバーシティを実現したつもりで、知らず知らずのうちに、その人たちを知らぬ存ぜぬで、排除していないだろうか、と。

ただ難しいのは、「皆1つになれば良いんだ!」と安直に考えて、これまた歴史を紐解くと、同化政策のように、マジョリティがマイノリティの個性や文化を抹消して飲み込んでしまうということも決してダイバーシティとはいえないことです。だからこそ、ダイバーシティ“&インクルージョン”と銘打たれているのではないでしょうか。

金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」は、“私はあなたができないこれができるが、あなたができるそれは私にはできない”、ということを最大限受容し、肯定しています。

同じ場所にいても、知ろうとしない、関わろうとしなければ、お互いの違うことの良さも享受できません。まずは、相手を知ることから始める。なにより知るは愛に通ずるのではないかと思います。

 

 

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安藤健

元々、臨床心理学を学んでおり、児童心理治療施設(虐待などで心に傷を負った子ども達の心理支援をする施設)にて、長らくインターンをしていました。 ここは、まさに心理学を「病の治癒」に活かす現場でした。そこから一転、心理学を「人の能力開発」へ活かしたいと感じ、人事という世界に飛び込んでみました。 現在では、こういった心理学の観点なども踏まえつつ、人事・マネジメント系コラムの連載をしています。

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