涙の数だけ強くなれるのか

先週末、親友の結婚式があった。中学時代からの付き合いで、今でも社会人野球を続けており、僕が野球では達成できなかったことを次々とやってのけている、「凄い奴」だと思っている。

 

数年前の都市対抗野球という、社会人野球の甲子園のような大会では初戦にホームランを放ち、その際にも彼との思い出が頭を巡ったのだが、今回の結婚式はその時以上に様々な感情が入り乱れ、結果的に号泣した。完全に自分語りになるが、あまりのインパクトだったので文章にしたいと思う。

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彼との出会いは中学3年生のときだった。僕の中学時代のチームメイトと同じ高校へ進学することになり、住まいが近所だったことから交流が始まった。元々中学時代からかなり有名な選手だったので、名前はもちろん知っていた。ただ、中学生という多感な時期でもあるため、そのような有名な選手は「虚勢を張る」ような人がほとんどだと(勝手に)僕は思っており、実際にそのような選手も居たような思い出がある。しかし、彼は全くそんな人柄ではなく、とても親しみやすいタイプの男で、すぐに仲良くなった。

 

彼と交流が始まって程なくしてから、とある事件?が起きた。僕が野球の推薦入試で不合格になってしまった。今思えばただ単に自分の能力不足であったのだが、当時の僕に現実を受け入れられるような力は無く、絶望の淵に立たされたような気持ちになり、学校へも行かなくなったくらい、ひたすら殻にこもるような生活をしていたように記憶している。

 

そんな時に彼から連絡をもらった。きっと僕の不合格の話を周りから聞いていたのだと思うが、その話を一切出さず、「最近連絡ないじゃん、どうした?」みたいな連絡をしてくれたような気がする。しかし、殻に閉じこもった僕はたしか返信ができず、何日か経過したときにまた彼から連絡をもらった。

 

その内容は、「俺も辛いことがあってな。大好きなお父さんが亡くなった」だった。

その連絡が来た時、僕は涙が止まらなかった。彼は僕なんかが受けたショック以上のものを受けているはずなのに、こんなに気にかけてくれていたのか・・・と。

 

他にも様々な方の支えをもらい、僕は別の学校へ進学し、野球を続けることができた。

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そんな彼の結婚式で、僕は余興の時間をもらい、彼がいかに魅力的な人物であるかを(まがいながらもコンサルタントらしく)プレゼンテーションで紹介した。我ながら、笑いあり涙ありのそこそこな余興ができたと思っている。これまで今の仕事を本気で取り組んできてよかったなと思った。

 

余興中はほぼ笑いながら実施ができたのだが、最後の結びの言葉のシーンになった時、様々な感情が頭を駆け巡り、周りの目など気にせず、気づいたら大号泣していた。

 

そこから何日か経っているが、あの涙は果たして自分が強くなった証拠だったのか、はたまた変わらない弱さなのか、当時の辛さがフラッシュバックしたのか、なんなのかよく分からない。

ただ、はっきりしていることは、彼と出会えた事によって僕は少し強くなれたのだと思う。

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芳賀 巧

2016年人材研究所入社。野球ばかりをする人生を送っておりましたが、最終的に大学入学前に寮を脱走し、そこから大いに学生時代を謳歌していました。元々人や組織に対する興味関心が特別強かったわけではなく、様々なご縁から入社をしました。二女の父で、週末は娘と公園でよく遊んで(遊ばれて)います。趣味はこれと言えるものはあまりありませんが、強いて言うなら麻雀が好きです(ただし、めちゃくちゃ弱いです)。お酒を飲むことも好きですが、プリン体が気になる年頃なので、最近はプリン体ゼロのノンアルコールビールを飲むことが多いです。

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