芳賀 巧
オセロゲーム的状態を回避したい
人生、楽しいこともたくさんあるが、当然嫌なことや辛いこともたくさんあると思う。諸先輩方に比べると、まだまだ生きてきた時間が短いものの、僕の中でも辛いことはいくつかあった。
苦手だったクラスメイトが隣の席になったりしたときには、この世の終わりかと思うくらい嫌だったし、最近だと、サウナで普通に座っていただけなのに、舌打ちをされたりした(被害妄想かもしれないが…)
おそらく、「ストレスランキング」という、あらゆる出来事に対するストレス度合いの評価をしているランキングは、ご覧になられたことがあると思う。そのランキングの上位に連なっているような「大切な人の死」などは、人生でもそう何度も起こることではなく、僕が先程述べたような、些細な「嫌なこと」や「辛いこと」が積み重なる事によって、モチベーションが下がったり、苦しい気持ちになることがほとんどではないだろうか。
相対的に考えると、辛いことがあるから、逆に「楽しい」と感じられることがあるわけで、辛いことを乗り越えることは、人生において必要なことだと思う。
問題なのは、「積み重なる」という状況になってしまうことで、勝手にどんどん自分で自分を疲弊させてしてしまうことではないだろうか。例えるなら、自分が白番のオセロゲームで、なぜか盤面に黒石を置いていき、盤面をどんどん自分で真っ黒けっけにしてしまっているような状況だと思う。
これまで、人生でせっかく楽しいこともあったのに、それすら「あんな楽しいことがあったから、罰が当たったんだ」というような発想で、どんどん黒へとひっくり返してしまうことが、精神的につらい状況に陥る、ということではないだろうか。(もちろん、そんな単純な話ではなく、前出の「ストレスランキング」の上位に連なるような出来事は別だろうが)
無理やりこの話を人事に落とし込むと、「時価価値」的な人の評価の仕方に例えることができるかと思う。
ある意味、経営状況や被評価者の実績、市場価値などを前提として考えられるため、評価しやすい反面、「あいつ、今回はちょっと不運だったからな」という優しさであったり、「ラッキーパンチだから、そこまで評価できないな」というバイアスが掛かってしまったりと、実際のところは機械のような時価価値評価は、これまではメンバーシップ型の組織運営をしてきた企業が多い今の日本において、いきなりガラリと行っていくことはかなり難しいのではないかと思う。
ただ単に、(曽和さんがよくお話されている)イソップ寓話の「3人のレンガ職人」のような意味づけ力についての話になっているかもしれないが、少しでも「楽しいなぁ~」であったり、「嬉しいなぁ~」と思って生きていたほうが、能天気かもしれないが、やっぱり結局人生も楽しいのではないかと思う。