頭が上がらない方がいることのありがたさ

頭が上がらない方がいることのありがたさ

人には迷惑をかけるものだから、迷惑をかけられても受け入れる、みたいなことを書いたが、自分自身は本当にいろいろな方に助けていただいたり、指導していただいたりして今がある。

ただ、自分で自信を持っているのは、そういう人たちに食らいついていったからこそ、様々なことを教えていただいたり、今でも何か困ったときに相談に乗ってもらえたり、手伝っていただけたりしているということだ。

学生時代に、約2年ほどベンチャー企業で長期インターンをさせてもらった。ベンチャー投資をしている会社だったので、様々な方々との出会いがある仕事で、とても刺激的かつかなりマッチョな働き方をさせてもらえた。

これまでバリバリ働いてきた方だけがいる環境の中で、最初は全く役に立つことができず、与えられたことをとにかくこなしているような状況であったが、徐々に学生では体験できないような仕事を手伝わせてもらえることが増えてきて、まがいながらも「仕事」というものをどのように捉えて、自分自身がどう考え、行動をとるか、ということを自分なりに進めていけるようになってきた。
今の自分があるのは、本当に当時お世話になった方がいたからだと心から思っている。

当然、そのインターン先の方々が、私にとって「頭が上がらない方」に当たるのだが、今でも頭が上がらないと感じるのは、直接的に「こうしろ!」と指導を受けたわけでもなく、「教え」が身についているなと感じる場面が多々あるからだと思う。

・仕事を進める関係性において、相手と会議などで話をするときには、会議の趣旨や前提をしっかりと確認すること
・仕事においても「感情」をないがしろにしないこと
・人とのご縁やつながりを大切にすること
・(しょうもない?ネタだと)Web上でもふざけすぎないこと(SNSのプロフィール写真などをしっかりとした顔写真にすること)

このような、自分自身が無意識のうちにとる思考のクセや行動のどこかに、「頭が上がらない方」から教わったことが 自分自身が「生かされている」感覚になることがある。
本当の指導とは、教育を受ける側もある意味相手に「憑依」するくらいに相手の思考や行動を学ぶという意識を持たなければ、やはり成立しないのだなと僕は思うし、スポーツでも音楽でも勉強でもなんでも良いので、人からとことん学んでみる、という経験は社会に出るまでに一度は体験しなければならないことではないかと思う。

そんな方々から受けた指導をこれから先自分自身が誰かにできるかと思うと、とてもじゃないが今の自分にはまだまだできないなと感じるが、そういったお世話になった人たちが悲しむようなことは絶対にしてはいけないなと強く思う。
「頭が上がらない方」が居ることのありがたさは、自分自身にプレッシャーを掛け続けることができることだと僕は思う。

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芳賀 巧

2016年人材研究所入社。野球ばかりをする人生を送っておりましたが、最終的に大学入学前に寮を脱走し、そこから大いに学生時代を謳歌していました。元々人や組織に対する興味関心が特別強かったわけではなく、様々なご縁から入社をしました。二女の父で、週末は娘と公園でよく遊んで(遊ばれて)います。趣味はこれと言えるものはあまりありませんが、強いて言うなら麻雀が好きです(ただし、めちゃくちゃ弱いです)。お酒を飲むことも好きですが、プリン体が気になる年頃なので、最近はプリン体ゼロのノンアルコールビールを飲むことが多いです。

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