■向き不向きとは

向き不向きなどない、あるのは努力するかしないかだ。というご意見も聞こえてきそうですが、そもそも向いているとはどういう意味なのでしょうか。仕事選びについて、当然向いているものを仕事にしたほうが、いいのでは!?

■オードリー若林さんのラジオ番組にて

「向き不向きってあるじゃない?俺らの世代って努力すれば報われるってこと叩き込まれている。でも、向いてないと無理だよね。」

 

40歳ぐらいの男性、スーパーカリスマ介護士で、認知症のケアハウスに勤めていらっしゃる方を例に上げて語っていた。

 

そのスーパーカリスマ介護士は、ずっと座ってくれなくて外出て徘徊しちゃう人とかに対して、その人の過去の職歴とか全部調べて上げて、証券会社でハンコを押す仕事をしていた人と判明。これにハンコ押してもらえますか?と頼むと、仕事の責任感から、ずっと徘徊しないでずっとハンコを押すようになった。

 

このVTRのあと、こんな人が増えたら良いな~とスタジオの雰囲気はなったらしいが、若林さんは「難しいだろうな」とおもったとのこと。

 

このひとが必死に努力して調べまくってコミュニケーションを取っているのではないような気がしたとのこと。

 

そんな悶々としている中、

「楽しいんでしょうね」

と、そこにいた先生らしき人が発言した。

 

その発言に若林さんは腑に落ちたらしい。

「向いているんだろうな介護士が」

 

この介護士の人は、出来ることを仕事にしているように思います。(本当にそうかはわかりませんが)人から見て相当な努力と思われることを、努力をしている感覚ではなく、楽しんで出来る。それが、向いていることの正体なような気がします。

■仕事選びはやりたいことから?向いていることから?

社会的望ましさの文脈から、「やりたいことを仕事にする」というのが良いこととされているように思います。しかし、介護士の例のように向いていることを活かした仕事を選ぶほうが自然かと思います。(やりたいことと、向いていることが重なっていれば問題ないですが)

 

なぜなら、やりたいことだが向いていないことだと、大変なエネルギーを必要とするという点からです。仕事に就くまでに、これまで長い年月(新卒でも20年以上)を生きてきて、なにかしらあるのではないでしょうか。そんな中、向いていないことを、就職前後の短期間で習得するということは、現実的には難しいのではないかと思います。

向いていないのは、能力的に不足があるなど、何らかの理由があってのことが多いと思いまが、そういう大変な努力をあえてすることが本当にいいことなのでしょうか。

 

加えて、確固たる「やりたいこと」を持っている人がどれほどいるのかという点です。中途第二新卒クラスの面接代行をしていると、新卒当時は「正直やりたいことがわからなかった」と回答している人が実感として多いように思います。

 

とってつけた「やりたいこと」をやるために、後づけで大変な努力をするというのは無理があるのではないかと思うのです。

 

ですから、自然なのは、「向いていることを仕事にすると、やりがいが生まれる」という流れではないかということです。

向いていることを仕事にすれば、成果が出るので褒められる。褒められるとうれしくなり、やりたくなる。これが多くの人にとっては自然な流れに思います。

そもそも、特段「これでないと嫌だ」と思えるほどの「やりたいこと」がないのであれば、この「向いていること(努力をすることにエネルギーを必要としないこと)」を軸に仕事を選ぶのも、一考の余地ありかと感じます。

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木下雄介

愛媛県出身。新卒で飲食ベンチャーであるきちりに入社後、リクルートに不動産広告の営業職として転職。 飲食ベンチャーでは成果が出ている店舗は“人”のコンディションがいいことや、“人”をマネジメントすることの難しさを感じた。リクルートでは“人”の課題で苦しんでいるクライアントと対峙してきたことから、漠然と“人”に興味が湧いていた。そんな中で当社の「結論ありきのコンサルティングはしない」というスタンスに魅力を感じ入社を決め、今に至る

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