芳賀 巧
父との思い出
多くの人は自分の親からは様々なことを教えてもらい、影響を受けてきたのではないかと思う。僕も例外ではなく、父が昔野球をしていた事がきっかけで野球を始め、なんだかんだ大学の入学まで続けてきた。(何度も書いてますが、寮から脱走して大学入学前に野球の道は挫折してます)
そんな父とは、比較的幼い頃から仲がよく、成人してからはよく一緒にお酒も飲みに行った。このメディアは少しでも自分自身をさらけ出すことで、少しでも皆さまに面白がっていただくためのメディアなので、僕を育ててくれた父の話を少ししたいと思う。
幼い頃に子どもが印象に残っているエピソードは、得てして親の方は覚えていなかったりするものであるが、僕にもそんなエピソードがある。
僕はさほど裕福な家庭ではないが、おおよそ不自由なく生活を送らせてもらえた。両親ともに東京の出身だったため、よく祖父母の家に遊びに行く機会があったが、そんなときは決まって外食が多かったので僕は非常に楽しみだった。
特に、母方の祖父母に会いに行く際には、近所の回転寿司屋に連れて行ってもらうことが多々あり、そこでの思い出が今回のエピソードだ。
その回転寿司屋はとても人気店で、基本的にはいつも席に座るまで30分~1時間程度待つことになるのだが、席を待つ際に、中央にある寿司のレーンを囲むように待合席が並んでおり、グルーっと移動しながら席があくのを待つ。
僕は基本的に待つのが苦手で、特に食事を待つということが当時はかなり苦手であったため、かなり機嫌が悪かったのだと思う。そんな僕を見かねて、父はある「遊び」をするようになった。
中央にある寿司レーンの奥には当然職人さんたちがいるのだが、その回転寿司屋はやや特殊で、「私が握っています」という看板があり、そこに職人さんたちのお名前が書かれているお店だった。
父の遊びは、職人さんたちの「名前」の由来を考えて僕に話をする、という遊びだった。「この漢字は◯◯という意味があって…」だったり、「□と△という組み合わせだから、昔の政治家と1文字違いで、その政治家は…」のように、話が派生したりすることもあったと記憶している。
父の解釈が全て合っていたわけではないと思うが、父の話を聞くのがだんだん面白くなり、言葉には意味があり、特に人の名前には様々な人の想いが込められているということを僕はそのことから学んだ。
今でも話しをややこしく考えたり、あれこれと(ときにはありえない方向に)考えを巡らせることが好きなのは、おそらくこの経験からなのかなと思っている。
そんな父とは成人してからはよくお酒を飲みに行き、この話をしたこともあったが、全く覚えていなかった。「そんなことよりも、これ見てくれよ」と、某有名人がカツラであるという2ちゃんねるの記事を見て、(自分を慰めるかのように)楽しんでいるような、そんな陽気な父だった。
ちなみに今でもそんな父は健在であり、僕は未だに食事を待つのが苦手だ。