プロと呼ばれる人たち

どのような分野においても「プロ」と呼ばれる人たちからは、心構えや取り組む姿勢など、学ぶことが非常に多い。

特に、環境としてほぼ万人に用意された義務教育などの一般的な競争の仕組みを用いることなく、己の能力や努力で生き抜こうとするプロの「言葉」は、心に残るものが数多くあるように思う。

幼い頃から一つの道へ、という意味でいくと、スポーツなどが連想しやすいかと思うが、今回は将棋のプロ棋士を題材として、少し文章を書きたいと思う。

特に、僕が好きな棋士は亡くなられたが、米長邦雄先生だ。数多くの逸話や名言が残っている、様々な意味で記憶に残る先生の一人だと思っている。

彼は生前、日本将棋連盟の会長を勤められたが、ダブルピースの笑顔でホームページに写真を掲載されていたのが特に印象的だが、彼の発言に「勝利の女神は正しいか否かよりも、笑いがあるか、謙虚であるかどうかを重視している」というものがある。

名人になるほどの実力を持っていた彼は、常に年下の棋士たちからも様々なことを積極的に吸収しようとしていたと聞いたことがあるが、「勝利」などの最終的な結果は、高次元の闘いにおいては、「運」や「流れ」などに左右されるということを感じ取り、そのような考え方をお持ちだったのではないかと僕は感じている。

自分自身の話に置き換えても、仕事上で接点を持つ方でも、(当然、やるべきことはやった上で)結局は楽しく話ができたり、仲良くさせていただく方が充実感もあるし、多くの価値を提供できているように感じる。

そんな米長先生は、紛れもなく将棋の世界で生き抜いた偉大なお一人であると思うが、今の将棋界でレジェンドとしてご健在である加藤一二三先生とは、まさに対を成すタイプの偉大な棋士だったのではないかと感じるエピソードがある。

今でもyoutubeに(おそらく違法)アップロードされているが、米長先生、加藤先生のお二人で有吉先生、内藤先生の一局を大盤解説した映像を、僕は定期的に見ているが、基本的には解説者のお二人のなんとも言えない掛け合いがとてもおもしろく、本当に将棋のことを深く知っているからこそ、あのような掛け合いになったんだろうなと思う。

その掛け合いの中で、米長先生の発言がとても印象に残っている。

「加藤さんは将棋の最善手を求めている。私は『この人ならどう打つかな』ということを考えている」

「将棋」という分野に対しては、米長先生、加藤先生ともに非常に高い能力をお持ちで、そのような環境が世の中にあったからこそ、おそらくお二人は活躍することが出来て、接点を持つことが出来たのではないかと感じる。ただ、「将棋」に向かう姿勢や考え方は、おそらくお二人の中で違いがあり、その違いがわかりやすく表現されたのもまた、「将棋」という接点が合ったからこそだと思う。

なんだか自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきたが、本当の「ダイバーシティ」とは、様々な能力を持つ人間が、その能力を発揮できる環境を世の中として数多く提供すること、そしてその環境に気付くことができる仕組みを構築することなのではないかと感じる。

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芳賀 巧

2016年人材研究所入社。野球ばかりをする人生を送っておりましたが、最終的に大学入学前に寮を脱走し、そこから大いに学生時代を謳歌していました。元々人や組織に対する興味関心が特別強かったわけではなく、様々なご縁から入社をしました。二女の父で、週末は娘と公園でよく遊んで(遊ばれて)います。趣味はこれと言えるものはあまりありませんが、強いて言うなら麻雀が好きです(ただし、めちゃくちゃ弱いです)。お酒を飲むことも好きですが、プリン体が気になる年頃なので、最近はプリン体ゼロのノンアルコールビールを飲むことが多いです。

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